2011年3月30日水曜日

PDAという言葉

PDAという言葉さえ最近は耳にしない。
この言葉さえ哀愁を感じる。
自分の中ではケータイもMIDも含めてザウルス時代から扱ってきた情報をそのまま入れて同じ様に使っているので、頭の中では形は変わっても同じPDAというジャンルの中に入ってしまっている。
DropBoxを使っているが、その中にはPDAというフォルダがある。
パソコンがPDAであるはずはないのだが、スケジュールや連絡先や様々なメモはその中に入っている。
ipod touch 4thでもdynabook azでも、パソコンでも主にここのファイルを使ったり、またはエバーノートを使ったりしている。
形や見え方が違っても、結局やってることはザウルス時代にやってきたことにすぎない。
巷ではエバーノートが便利だと専門の本まで売られて大騒ぎしているが、似たようなことはずっと前からできていた。
iPhoneの普及でようやく、PDAという内容の物が一般の人達にも受け入れられるようになったのかなと思う。
みんなが使いはじめて普及してしまうと、なぜか魅力がなくなっていく。
その点、android osのキーボード端末はまだ周囲で使用している人はいない。
重たい操作感のwindowsネットブックでテキストエディタを使用するよりもはるかに便利に使うことができることは、なかなか便利。
windows ceではなかなか使いにくかったブラウジングも合格基準だ。
クラウドサービスのおかげで、今までは複数のPDAを使っていると逆に不便になることが多かったが、今はそんなこともない。
少しずつ形を変えながらも、やはり、自分の頭の中は今日もPDAでしかない。

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